水戸街ぶらぶら散歩

水戸の街を地元目線で歩いてみた

2022-05-01から1ヶ月間の記事一覧

水戸偕楽園正規ルート 表門から巡る陰陽の世界

偕楽園の正規ルート 表門から入園して陰陽の世界を堪能 偕楽園は水戸九代藩主徳川斉昭によって「衆と共に楽しむ場」として領民の休養場所として開園されました。斉昭公自ら造園構想を練り園内の好文亭は斉昭の設計と言われています。現在はアクセスの利便性…

水戸の偉人像めぐり 横山大観

横山大観 横山大観は水戸出身の日本画家です。東京美術学校で岡倉天心、橋本雅邦らに学び、下山観山、西郷孤は同期です。岡倉天心などと共に「日本美術院」の創設にかかわりました。しかし日本美術院が経済的に苦しくなると茨城県の五浦(北茨城市)に移るこ…

水戸の神社探訪 水戸東照宮

水戸 東照宮 水戸東照宮は水戸藩初代藩主徳川頼房公が父家康公のために建立した神社です。その後頼房自身も祀られています。地元では「権現さま」と呼ばれています。境内には頼房公が奉納した「銅灯籠」光圀公が造らせた「常葉山時鐘」斉昭公が考案した「安…

水戸の神社探訪 常磐神社

常磐神社 常磐神社は 徳川光圀(義公)、徳川斉昭(烈公)をお祀りする神社です。明治の初めに偕楽園の中に建てられました。戦災で本殿などを焼失しましたが、その後現在の社殿が建てられます。境内には本殿の他、昔のまま残る能楽殿の他、水戸学の資料や日…

水戸の神社探訪 鹿島神社

弘道館 鹿島神社 鹿島神社は弘道館本開館式の時遷座が行われ、祭神は武甕槌命(たけみかづちのみこと)で常陸一の宮の鹿島神宮から分霊をして祀られました。戦災で社殿が焼失しましたが昭和49年の伊勢神宮式年遷宮の折、伊勢神宮別宮の旧殿一式が特別に譲与…

水戸の偉人像めぐり 常陸山谷右衛門(第19代横綱)

常陸山谷右衛門(横綱常陸山) 水戸出身の横綱でその業績は現代相撲の基礎を作った人物と言われています。また「ちゃんこ鍋」の元祖とも呼ばれているそうです。水戸の歴史ロード「備前掘」には常陸山が寄贈した「常陸山橋」が今も残っています。 生誕の地 yo…

水戸の偉人像めぐり 栗田 寛

栗田 寛 水戸藩城下町に生まれ、後に石川幹侑・会沢正志斎・藤田東湖らに漢学・国学・史学を学んだ。20歳のときに『古字集』を著した。24歳の時、町人出身ながら彰考館の出仕を命じられ、豊田松岡(天功)の指導を受けながら史書編纂事業にあたった。 (ウィ…

水戸の偉人像めぐり 藤田東湖

藤田東湖 水戸藩主 徳川斉昭の腹心として藩政改革、弘道館創設などに活躍。水戸藩や幕府ではなく日本国全体の視野に立つ考えを持った人物でした。安政の地震で圧死しました。墓は常磐共有墓地にあります。また偕楽園そばの常磐神社境内に東湖神社があります…

水戸の偉人像めぐり 会沢正志斎

会沢正志斎 会沢正志斎は、藤田幽谷の弟子となってその学問を深め、のちに彰考館総裁となりました。また、斉昭の改革にも重要な役割を果たし、青山延宇と共に弘道館初代総教となりました。吉田松陰など他藩からの遊学者に大きな影響を与え、明治維新の原理の…

水戸の偉人像めぐり 伊奈備前守忠次

伊奈備前守忠次 徳川家康の命で関東を中心に各地で検地、新田開発、河川改修を行った。水戸藩初代頼房の時代に城下町整備の一環として農業用水確保、洪水防止のため用水路整備をしました。水戸の出身ではありませんが水戸ではその功績が大きくたたえられ、そ…

水戸の偉人像めぐり 本間玄調

本間玄調 水戸藩の藩医で、漢方だけでなく西洋医学も学んだ医学者です。日本で初めて麻酔を使った手術を成功させた華岡青洲の門下。しかし、華岡青洲流の医学の書物を出したため、華岡青洲門下から破門。徳川斉昭の侍医で弘道館医学館の教授を務めました。医…

水戸の偉人像めぐり 徳川慶喜

徳柄慶喜(代15代将軍) 水戸藩代9代藩主徳川斉昭の七男として江戸小石川に生まれ幼名は七郎麻呂、光圀を尊敬する父斉昭の教育方針から「江戸の華美な風俗に馴染まぬように水戸で教育する」と言うことで幼少期を水戸で過ごし5歳から弘道館で会沢正志斎らに教…

水戸の偉人像めぐり 朱舜水

朱舜水 中国 明の再興に失敗し日本に亡命した儒学者、その後徳川光圀に招かれ、水戸学に影響を与えた。江戸の水戸藩中屋敷に住居を与えられた。大日本史編纂の基礎を築いた彰考館総裁の安積澹泊の師。墓は常陸太田市の水戸徳川家の瑞竜山墓地にある。 水戸市…

水戸の偉人像めぐり 豊田芙雄子

豊田芙雄子象 女子高等教育の先駆者、日本の幼稚園教育の開拓者ともいわれ、日本の女子教育界発展に大きく貢献したほか、日本の保母第一号とされる。藤田東湖の姪で夫は豊田天功の長男小太郎。(参照:ウィキペディア) 着任した水戸高等女学校(現水戸二高…

水戸の偉人像めぐり 安積覚兵衛(澹泊)

安積覚兵衛(澹泊) 安積格兵衛はお馴染みドラマ水戸黄門の格さんのモデルと言われていますが、水戸藩小石川藩邸にあった彰考館の総裁で、大日本史編纂事業の基礎を作った人物です。水戸城址にある彰考館跡地の碑の近くの水戸城二の丸展示館の前に像がありま…

水戸の偉人像めぐり 徳川斉昭

徳川斉昭(烈公) 15代将軍徳川慶喜の父、江戸小石川で生まれ、会沢正志斎に水戸学を学び弘道館設立や偕楽園の創設などが有名です。斉昭の思想は幕末の日本に大きな影響を与えました。安政の大獄で失脚、水戸で61歳の生涯を閉じました。弘道館前の大手門広場…

水戸の偉人像めぐり 徳川光圀(水戸黄門)

水戸市の偉人像 徳川光圀 おなじみ水戸黄門で知られる徳川光圀は水戸藩2代藩主、初代水戸藩主頼房の三男で、家康の孫にあたります。江戸小石川に藩邸があり5代将軍綱吉に頼られ幕政に関与したと言われたことから副将軍と呼ばれたようです。藩主時代には寺社…

水戸市の偉人像めぐり 徳川頼房

徳川頼房 徳川頼房は水戸藩初代藩主 水戸にはほとんどいなかった? 徳川家康の11男で17歳で就藩したがその後23歳までの青春時代をほとんど江戸で過ごしました。水戸では水戸城修復や城下町の整備などを行ったがその後2代将軍秀忠が病気になると3代家光の代は…

水戸の偉人像めぐり 水戸黄門ご一行像

TVドラマでおなじみ 水戸黄門 助さん各さん像 水戸黄門こと徳川光圀は水戸藩2代藩主、随行の助さん格さんはドラマでは架空の人物ですがモデルとなった人物は実在しています。佐々木助三郎(助さん)=佐々宗淳(佐々助三郎)渥美格之進(格さん)=安積澹泊…

杉山門~薬医門(水戸学の道)

杉山門~薬医門~黄門神社 二の丸角櫓から薬医門に向かう途中に樹齢400年と言われる大きな椎の木が二株あります。その脇に見晴らし台に入る門があります。角櫓から400メートル近く歩いたのでちょっと一休みもいいかもしれません。途中天覧記恩碑がありました…

水戸城大手門~二の丸角櫓(水戸学の道)

角櫓水戸城址 大手門・二の丸展示館・二の丸角櫓 弘道館の東側の大手橋を渡ると二の丸です。大手橋の下はお堀の後で旧国道6号線です。二の丸の入り口に大手門があります。皆さん大きな門に感心して通り過ぎているようですが、門の左側の下の部分にガラスの覗…

弘道館正庁・至善堂(水戸学の道)

弘道館に行ってきました 弘道館正庁を見学してきました。数十年前に行ったきりなのでよく覚えていませんが、結構整備されていて、なかなかの見ごたえでした。展示物はそれなりにたくさんありましたが、おそらくはレプリカが多いかもしれません。日によっては…

弘道館公園(水戸学の道)

弘道館公園と鹿島神社 弘道館公園を散歩して見た。昔は第二公園と呼ばれていて観梅時期は偕楽園(第一公園と呼ばれていた)と共に賑わいます。隣の茨城県三の丸庁舎(旧茨城県庁)の周りの桜とあわせて桜の名所でもあります。弘道館は水戸の藩校で現在の建物…

遍照山義宣院光台寺 (ロマンチックゾーン)

光台寺 佐竹義宣により開基された浄土宗の寺院。現在の地には水戸光圀の命により移されました。藤田家の堂域で、桜田烈士や彰考館総裁の墓、明治の文豪菊池幽方の墓があります。菊池の生誕地は栄町の並松町児童公園内に碑が立っています。 光台寺 菊池幽方生…

大悲山保和院桂岸寺(ロマンチックゾーン)

大悲山保和院桂岸寺(二十三夜尊) 桂岸寺は香華院と称されたとされていますが、徳川光圀により保和院と改称されました。縁日は旧暦23日です。地元では「さんやさん」と呼ばれ、縁結び・金運・合格運にご利益があると言われています。境内には縁結びの愛染堂…