那珂湊反射炉を歩く
那珂湊にある反射炉は水戸藩9代藩主徳川斉昭が1858年(安政4年)に海防のため大砲を造る目的で作った鉄を鋳造する反射炉です。幕末の水戸藩の動乱(1864年天狗党の乱)で破壊されましたがその間約20門の大砲が製造され幕府にも献上されました。現在の反射炉は昭和12年に復元されました。水戸駅近くの水戸東照宮にそのレプリカのカノン砲が展示されています。幕末の水戸藩が与えた影響は大きなものでしたが悲惨な内乱のため多くの優秀な人材も失われてしまいました。那珂湊も天狗党の乱(元治甲子の乱)の大きな戦場となりました。
山上門 水戸藩江戸小石川邸にあった薬医門を移設したもの
反射炉 一号炉 1856年(安政2年)二号炉 1858年(安政4年)
登り窯 反射炉を造るための耐火煉瓦を焼くためのもの
反射炉の碑